「ペッパー君さようなら」ということで、レンタル契約更新を行った企業が15%しかいないということでした。要はスマホ等の技術が発達し、「ペッパー君である必要がなくなった」、もっと端的に言ってしまえば、設置コストに対してウマミが少なくなったというところでしょうか。
まあ、確かに色々な場所でペッパー君は見かけますけど、最近は誰も構っている様子はなく、終始
「ロボットだからって無視しないでください。」
と言っていた印象があって....笑
何ともいえない哀愁を漂わせていますよね。
一発屋お笑い芸人が、テレビで飽きられてきて、笑いではなく拍手が起こる状態ってよくありますけど、アレの哀愁になんとなく近いものを感じていました。
それでもペッパー君はスゴかった
初めてペッパー君を見た時、私は結構感激しました。
特に目線ですね。
ペッパー君って、近寄ると(恐らく)顔認識をして、ひたすら目をみつめてくるんですよね。アレは秀逸だなあと思います。人型ロボットに目を見つめられると、どうしても愛着がわきますし、その後もイジってみようという思いは沸いてきます。
感情表現や動きに関してもかなりこだわっている印象があって、私が初めてみた時は小一時間眺めていました。
(ただ、じゃあ何かの役に立ったかと言われるとそんなことはなかった)
ペッパー君で馳せたロマン
私がペッパー君を始めて見かけたのは、パソコン修理屋さんでした。
パソコン修理の間時間がかかるので暇をつぶさなければいけないときに、修理屋の横にペッパーが立っていて、じっとこっちを見つめていたのです。
私は小さい頃アトムやドラえもん等の次世代ロボットアニメを見るたびに、
「いつかロボットの友達とかが出来る時代にならないかな~」
なんて考えるたちだったので、ペッパー君と遊んでみて
「すごい!今はまだペッパー君はポンコツ感漂ってるけど、あと20年くらいもすれば、限りなく自然に、まるで意思でもあるかのようなロボットが出来て、更に10年後には一家に一台ロボット時代が来てもおかしくないなあ」
なんて思いをはせたものです。
実際今AmazonがAmazonエコーなんて出していて、そういう時代の到来も感じさせます。
ペッパー君は確かに一発屋だったわけですが、少なくとも私は夢と希望を感じました。
愛嬌あるロボットってロマンあるよね?
なんとなく思うのが、ペッパー君はアトムやドラえもんのようなアニメの人工知能ロボット像に引っ張られて、人間に寄せようとしすぎたのが失墜の原因なんじゃないかなと思うのです。
「人間に寄せるために愛嬌や感情表現に特化した」ことそれ自体は問題ではないとは思うんですけど、スペックや技術が見合っていないのに、そっちの方向に注力しすぎた。
正直、便利で愛嬌のあるロボットは良さを感じるわけですけど、ポンコツで役に立たないが愛嬌はあるロボットなら、もっとちゃんと会話が成り立つポンコツだが愛嬌のある後輩と会話した方が楽しいわけですし。
現状ロボットが人間に勝る点は、とにかく便利さなのだから、利便性とコストのバランスを追求しなければいけなかったというのが、ビジネス上の見解かなと。
ただ、ロマンや夢を踏まえた上で語るなら、
「やはり、限りなく人間に近い愛嬌あるロボットを開発したい」
という思いは当然あると思います。
ペッパー君はリリースが早すぎた。もっと技術が追い付いて、便利さも兼ね備えた状態で愛嬌を追求するべきだった。
しかし、感情表現に近い動作を行うロボットは、我々に近い将来やってくるであろうSF世界を妄想する機会をくれたという点で価値あるものだったと思っています。
※あと、ペッパー君をリリースした実績から、次のロボット商品も信頼性が高まるというビジネス的なメリットもあるのかなとは思います。
ペッパー君の復活を期待しています。